アラフィフが英語を勉強しようと思った理由 (その1)
幼い頃に読んだ「赤毛のアン」「若草物語」「小公女」などの欧米の少女小説の影響で、見知らぬ欧米の文化に対するぼんやりとした憧れがあった。
いつか海外で生活してみたい。まだ見ぬ景色、私達とは違う肌の色、違う髪の色、違う言葉を持つ人々と話をしてみたい、とずっと思っていた。
中学校の頃の得意科目は英語。
その頃、地元の新聞社が、夏休みに主催していた、中学生向けの三週間のアメリカ・ホームステイツアーがあった。
どうしてもそれに参加したくて親に陳情したら、「期末テストで1番になったら行かせてあげる」と言われてものすごく必死で勉強したのに、結果は2番。
あえなく轟沈…。
まあ、あの頃の我が家には子供を三週間もホームステイさせる経済的余裕はなかったんだろうけど、それでもあのとき行っていれば、ずいぶん変わっていただろうなあと悔しく思う。
高校は全県区の進学校に通ったので、周りは各市町村気鋭の秀才揃い。小・中まではそこそこ優等生だったのが、一気に自信喪失・成績低下。海外への憧れもすっかり遠くなり、現実逃避にTHE ALFEE にハマり、太宰治を読み耽るという、支離滅裂な高校生活を送る。
太宰治をもっと知りたくて大学は都内の私立大の国文科へ。
卒論は「太宰治『津軽』試論」。英語ははるかに遠くなりにけり。
大学卒業後、短いOL期間のあと、結婚。オットの実家のある茨城県に住む。
以後20年、パートタイムでカフェやレストランで働き、習い事をし、ランニングを始め、それなりに平穏で幸せな毎日。
ある日、オットが「大学院に行く」と言い出す。
仕事の傍ら、夜間の社会人大学院に行くんだと。1年のうち半分くらいは出張で走り回っているのに、この上大学院? なんでまた?
と思ったけど、彼はサクサクと準備を進め、学校を決め、通いだし、2年で修士号を取得した。
「もっと知識を得て、視野を広げて、自分の仕事に活かしたい、世の中に貢献したい、」
という彼の姿勢は、我がオットながら素直に尊敬に値するものだった。
そんな彼が、さらに学問を深めるべく今度は博士課程へすすむという。
研究テーマがアイルランドに関係するものだったので、たくさんの英語の文献を読まなければならなくなったのだけど、オットも私同様、英語は中学高校レベルで壊滅的に錆びついている。
オットの研究テーマには日本語の先行論文がまったくなかったので、資料を集めることも、それを読みこむことにも困難を極める。それでも、彼は周囲の協力やインターネットの力を借りてなんとか研究を続けている。
彼の姿を見て、長らく忘れていた「向学心」を思い出した。
勉強しなきゃ。なにかやらなきゃ。頑張ったよ、って自分を納得させなきゃ。
このままぼんやり50歳になっていいの?
オットの後を追うように30年ぶりくらいに英語の参考書を買い、学習継続のモチベーションの維持のために定期的にTOEICを受験することにした。